空中庭園幻想

Le pessimisme est d'humeur ; l'optimise est de volonté.

今年も海に行かなかった(青松輝『4』感想)

 

青松輝『4』
一冊はサイン入り、一冊は友人に譲った

 青松線の記念すべき第一短歌集が刊行された。2018年から2023年までの394首が連作ごとに時系列を混ぜて並べられている。タイトルは彼の代表作数字しかわからなくなった恋人に好きだよと囁いたなら 4”にちなんで『4』とされ、 表紙も彼の本名にちなんで真っ青というソリッドなものになっている。

 

私は彼のことが好きだ。2021年春あたりから応援していて最近なら第三滑走路(彼が所属する歌人のユニット。社会人をしながら活動する丸田洋渡、QuizKnockライターの森慎太郎を擁する)のネットプリントもして友人に読ませたりしていた。私が文章を書いていて場面を区切るときを使うのも彼の影響を受けてのことだ。

 

先に断っておくが私に批評はできない。短歌は青松輝から入ったし、せいぜい穂村弘や木下龍也あたりしか読んだことがない。

考察は専門家に任せるとして、ごくごく普通の女子高生が『4』を読むとどうなったかというレポートのようなものを残しておく。

 

 

 まず全体への感想。青松輝は常に痛みを接写している(と私は思っている)。

彼は感傷マゾ研究会誌に寄稿したエッセイの中で詩はすべてを否定する。すべての価値が否定された中で唯一光り続けるものを抒情するというようなこと

を書いていた。彼のそんな姿勢がすべての句に息づいているような印象を受けた。第二歌集のことが今から心配なくらいには良い出来だ。

 

 

 つぎに、好きな歌をいくつか挙げてそれぞれに感想を述べる。私は怖い歌が好きだからそんなものばかり集めたらちょうど5首になった。

 

十年後の僕はロレックスを外してつまらないことで笑う 笑え

 私の知る限り今の青松輝はそんな生き方をしていないし、望んでもないと思う。しかし十年後はどうだろう、彼は36歳になっている。

社会人としていろばん脂の乗った時期だろう。周りはみな高級な車や家や時計を所有するし、詩の話など

してられないかもしれない。

彼はそれを否定しない。しかし「ロレックスを着けて」でなく「外して」なのは彼のささやかな抵抗だろう。人並みの幸せに回収されることを拒む心が芯に光っている。

 

連絡をしてから首吊りをするのは発見してもらえるから ウ  ル 

 恐ろしい歌だと思う。とくに最後の言葉のウ  ル  で死者と目が合う感じがする。

この歌の中の人物は発見してほしいんだな。あまり縊死者が他人に連絡するのは一般的でない感じがある。どちらかというとオーバードーズリストカットのイメージ……

ウルフとはなんだろう。ウルフカット? 満月の日である隠喩? 人が死ぬと狼が現れるなんて説あったっけ。

 

僕のさいしょの恋愛詩の対象が、いま、夜の東京にいると思う

 美しい歌だ。初恋の言い換えとして最上級だと思う。もし初恋が未就学児のころだったとして、相手のことを考えてこねた粘土はもう詩なのだから。

夜の東京ということから、相手もそれなりの成功を収め、しかし大きな花を咲かせることなく生きているのだろう。人には人の人生があり、おおかた危なげも面白みもなく生きていて、それを誰も咎めない;例えそれが誰かの初恋の相手でも。

 

僕の詩があなたを救わないという事実は─咲いてる─病気の桜

 これも怖さが気に入った歌だ。僕の詩があなたを救わないという事実病気の桜という別レイヤーのグロテスクさが咲いてるの一語で接続されている。端的な現実と病んだポエジー。どちらも同じ彩度だ。

 事実が咲いているのか、事実が咲いてる病気の桜なのかどっちなんだろう。この揺らぎは青松輝からの挑戦だと思う。来春確認しよう。

 

冬なのに夏の曲ばかり聴いて誰のせいなんだろう死ぬのは

 冬なのに夏の曲ばっかり聴いて死んだ人を、誰のせいなんだろう死ぬのはと回顧している。

冬に夏の曲ばっかり飛くのは確かに死へ近い感じがする(逆ではないところがミソだと思う)。

闇の中で最盛期のことを思い返す。ふつうになれるかもしれなかった時期の輝きを追いかける、冬に花火を見る……。とにかく、夏と冬にはほかの取り合わせでは得られない抒情があってそれを追いかけてその人も死んだのだと思う。誰のせいでもないね。

 

 

 私は『4』の初版サイン本を所有している。これには青松輝のサインと、『4』の中からランダムに一首が彼の手書きで添えられている。ということで、私に割り振られた歌についても感想を述べてみようと思う。

 

二十代を死なずに通り抜けるために、あなたは使いはたす 美と醜を

 さいしょ本屋でこのサイン本を手に取ったとき、見透かされているのかと思って怖かった。私には二十代を死なずに通り抜けられる自信がなかったから……

著者の手が紙をすり抜けて私の心にまで伸びてきた気がした。第四の壁、というやつだ。私は三十代を越えてからまたあなたに会えるのだろうか……あまり自信はないけれど。

どうでもいいことだが、はたすが平仮名なことにはなにか意味があるのだろうか。あなたはと被って少しテンポが悪くなるから私なら漢字にする。

 

 

 最後に。私は青松輝という名前を見ていつも海を思い浮かべる。それも日本の、観光地というよりは死の近い人々がこっそり訪れる浜辺。

私は今年花火大会にも縁日にも顔を出したが海には行かなかった。冬になったら後悔するのかもしれない。